スポンサーリンク
天国の扉

猫好き男子と大人な部長39

「幼少の頃、私には苦い失敗談があってね。2歳年下の妹は、昔から音楽が大好きで、よく自分でピアノを弾いたり、歌ったりもしていたんだ。で、あれはたしか、私が10歳の頃のことだ。当時、妹は、誕生日に両親から買ってもらったオルゴールを大切にしていて。まるで宝物のようにね」

 ここで信号が青になったため、少し話を切って、車を発進させる高倉。

 架恋は、その端正な横顔を見ながら、黙って話の続きを待っていた。

「ある日、私はついつい興味本位で、そのオルゴールを鳴らしてみたくなってしまった。オルゴールは、いつもリビングの窓際にあるチェストの上に置かれていて、誰でも触れる状態でね。その場には、妹と母がいたんだけど、私は黙って立ち上がると、チェストへと近づいていき、そのオルゴールを鳴らそうとした。だけど……」

 ここで、ほんの僅かではあるが、高倉の表情が憂いの色を帯びた。

 何が起きたのか薄々は想像できた架恋だったが、口を挟まずに黙っている。

 高倉は少し悲しげに言葉を続けた。

「手元が狂ったせいで、オルゴールが床に落ちて割れてしまったんだ。私はパニックに陥り、恥ずかしながら何一つ言葉が出てこなかった。でも、優しい母がすぐに『大丈夫。びっくりしたね、佳樹』と言って私を慰めてから、壊れてしまったオルゴールを拾い上げた。私は妹に対して申し訳なくて、申し訳なくて、今にも泣きそうな妹に向かって、『ごめん』と何度も謝った。妹も、母譲りの優しい性格をしてるから、『いいよ、もう』と言ってくれたけど、その目からは涙がとめどなく流れていたし、傷ついているのは、幼い私にも明白だった」

 高倉は悲しげな表情のままだ。

 架恋は心の中で「部長も優しい性格をされてるじゃないですか。部長のその性格は、お母様譲りだったのですね」などと思っていたが、もちろん口には出さない。

 いつしか、前方にショッピングモールの建物が見えてきている。

 高倉はさらに続けた。

「結局、そのオルゴールは、元通りには戻らなかった。特注品だったらしくてね。取り返しのつかないことをしてしまったことを自覚した私だったが、ただただ謝ることしかできなかった。それなのに、妹は一言も、私に対して文句を言ったり、私を非難したりはしないんだ。私は『大きくなったら、オルゴールをプレゼントする。もちろん、あの宝物だったオルゴールと同じ物は不可能だし、そんなことをしたところで、何の償いにもならないんだけど』って、妹に言ったら、妹は『気にしなくてもいいのに。でも、貰えるものなら、喜んで貰うよ』って言って笑った。私にあんな酷いことをされたのに、笑って許してくれたんだ。ところが、私はその後すぐ、東京の大学へ行くために故郷を離れ、その約束を守れないままに今日まで来てしまっていた。だけど、先日たまたまテレビでオルゴールを見て、その約束を思い出し、『そういえばもうすぐ妹の誕生日だったな。今度こそ、オルゴールを』って思ったんだ。つまらない話を長々とすまないね。そういうわけで、オルゴールを買いたいと思ったんだよ」

 話し終わった高倉は、ハンドルを大きく左に切る。

 ショッピングモールの駐車場入り口へと入っていった。

 話を聞いてるうちに、幼少期の高倉とその妹とのやり取りが、どこか現在の修馬と自分に通じるところがあるように思えて、他人事とは思えなくなっていた架恋が言う。

「そんなことがあったんですね……。部長も妹さんもお母様も、お優しいですね」

「優しいのは妹と母だけだよ。この話の中で、私は『大失敗をした人』というだけの役回りだからね。このことで、私には学ぶところも多かったよ。その出来事から2年ほど経って、私が『取り返しをつかないことをしてしまって』と当時の事を再度謝ったとき、妹は『世の中には、取り返しのつかないこともいっぱいある。でも、取り返しのつくことも多いんだよ。お兄ちゃんがしてしまったことは、取り返しのつくことだと思う。しっかり謝ってくれたし、お母さんから新しいオルゴールを貰ったし、もう何とも思ってないよ』って答えてくれてね。この言葉が忘れられないよ。『確かに、妹の言う通り、世の中には取り返しのつかないことも多いけど、取り返しのつくことも多いな』って私も思ってね。だから、私は取り返しのつかない失敗はしないようにしようと心に誓ったし、逆に、もし取り返しのつく失敗をした人がいても責めないようにしようとも思ったんだ」

 そこで言葉を切り、車をバックさせる高倉。

 架恋は密かに、「男性が車をバックさせるときの仕草」が大好きなので、一瞬ドキッとした。

 しかし、それも一瞬のことで、すぐに今の話の内容を反芻(はんすう)する。

 瑞穂が話していた「高倉部長が、先輩のミスを責めなかった」というような話も、思い出されてくる架恋。

 架恋が感想を口にしようとしたが、車を停め終えた高倉が一足早く口を開いた。

「長々と話してしまって、本当にすまなかったね」

「いえ、あの、ツライ想い出を話させてしまって、こちらこそすみませんでした。その……私も色々と考えさせられる内容でした」

「石橋君は本当に真面目で素直だね。では、ついてきてくれるかな」

 そう言いながら、シートベルトを外す高倉。

 架恋も同じく外しながら、「はい」と元気良く答えた。