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天国の扉

猫好き男子と大人な部長35

 この日は瑞穂がまた用事があるらしく、手早く帰り支度を済ませて足早に帰っていったため、またひとりで帰ることになった架恋。

 架恋が外へ出ると、そこには修馬の姿があった。

 架恋は驚き、思わず立ちすくむ。

 修馬は落ち着いた声色で言った。

「架恋、この後、時間ある? こんなところで出来る話じゃないから、カフェで落ち着いて話がしたい」

「この後、特に用事はないけど……。は、話すことなんて……」

 あれほど「きっちりお別れしないと」と自らにも言い聞かせていたにも関わらず、いざ修馬を目の前にすると、何も言い出せない架恋。

 架恋自身、修馬に対して今どういう感情を抱いているのかを理解していなかった。

「そんなに時間は取らさないから、頼む」

 修馬はそう言うと、頭を下げた。

 こういう風にお願いされると、断ることが難しくなる架恋。

 性格というか性分から。

 架恋は動揺を押し隠しながら、気のない様子を取り繕って言った。

「じゃあ、少しだけ……」

「ありがとう」

 ポツリと言うと、カフェへ向かって歩き出す修馬。

 架恋は黙ってついていった。

 カフェの席につき、アイスコーヒーを注文する二人。

 そして早速、修馬が話を切り出した。

「今回のこと……本当にごめん……」

 修馬は深々と頭を下げる。

 架恋は、何だか修馬がかわいそうになってしまって、話を促した。

「で、話って……?」

「うん……」

 言葉を切る修馬。

 修馬は今日ここまで険しい表情ばかりしているが、さらに深刻な表情になった。

 眉間には小さな皺が寄っている。

「本当に……俺の脇が甘かった……。言葉では言い表せないほど、心から悔やんでるんだ。俺には、架恋しかいないから……許してほしい。本当にごめん」

 真っ直ぐ目を見て話をし、再び深く頭を下げる修馬を見て、架恋はそこに誠意を感じた。

 しかし、過去にトラウマを抱える架恋は、素直に「もういいよ」などと言う気は起きない。

「お付き合いする前に言ったよね。あれほど、『浮気だけは絶対にしないで』って、強く。これも話したと思うけど……過去に2度も、付き合ってた人の浮気で別れてるんだよ……」

 震える声で言う架恋。

 まだ涙は出ていなかったが、いつ泣いてもおかしくないほどに、架恋は感情的になっていた。

 一方の修馬は、落胆と悲しみと後悔の入り混じったような、苦しげな表情で言う。

「そういう意図はなかったとはいえ、全面的に100パーセント俺が悪い……。そうだよな……もっと俺が気をつけるべきだった」

「だったら、もう……」

 架恋は別れを切り出そうとしたが、この期に及んでもためらってしまう。

 自分がまだ修馬を深く深く愛していることに、架恋は気づき始めていた。

 だが、だからこそ、修馬に対して幻滅し、簡単には許せない気持ちになっていたといえる。

 架恋の言葉が別れを意味していると気づき、修馬がうつむき加減で言った。

「ごめん……。もちろん、ただで許してもらおうとは思っていない。俺は今後一切、酒は飲まないと誓うから。それから……どうやったら許してもらえるか、架恋の口から聞きたい。俺が出来ることなら、何だってする。だから……別れるのだけは、勘弁してほしい。俺は、架恋なしでは生きていけない」

 この言葉を聞き、架恋は考え込んだ。

 自分と付き合ってくれていることが噂として広まった現在であっても、修馬は変わらず、同僚の女子社員たちに絶大な人気を誇っている。

 そんな人が、自分のために何度も頭を下げ、誠意を見せて、ここまで言ってくれているのだ。

 特に最後の言葉は、架恋の心に強く響いた。

 架恋は、今まで付き合った相手からは一度も、ここまで言ってもらえたことはなかったので。

 それでも、瑞穂の言葉を思い出し、すぐには修馬に対する信頼が全面的に戻ってこない架恋。

 瑞穂が言った、「どうせ、今後も同じような問題ばっか起こすに決まってるから」という言葉だ。

 なので、架恋は曖昧な口調で、聞き返した。

「私のために、何でもしてくれるの?」

「うん、もちろん。俺に出来ることなら、何でも。ただ……」

「ただ?」

 架恋が先を促すと、苦渋に満ちた顔で修馬が答えた。

「『じゃあ、別れて』ってのだけは、やめてくれ。それは……『俺に出来ること』ではないから……」

 自らの前非を悔いて苦しむ修馬の様子を見ていると、架恋は心が痛くなってきた。

 修馬の右手薬指にて光を放つ、想い出のリングも、架恋の心を揺さぶっている。

 だが、自らも傷ついたことは確かなので、そのことを思うと、言葉がなかなか出てこない架恋。

 架恋は半ばやるせない気持ちに襲われて言った。

「別れる以外なら、どんなことでも? じゃあ、今の仕事をやめたり、全く知らない土地に移住して私と二人で一からやり直したり、そんなことも?」

「もちろん。転職と移住ってことか……このあと仕事情報誌を買いに行くよ。そこが一番大変だから、何とかしないと。新しい仕事さえ決まれば、すぐにアパート探しをして、そのあと辞表を提出すればいいだろ」

 たとえ話として持ち出したことを、完全に真に受けられ、架恋は焦って否定する。

「あ、その……あくまでも、たとえ話だから!」

 ただ、そうは言いつつも、自分の言うことを今にも本気で実行しそうな修馬に対し、真摯さと誠意を存分に感じ取った架恋。

 営業部で好成績をおさめており、同僚とも良い関係を築いていると噂の修馬だが、「築き上げてきたその全てをなげうってでも、架恋を取り戻したい」と切実に思っていることが架恋にも伝わった。

 修馬は安心した様子も、「じゃあ早く本当の願いを言ってくれ」と急かす様子も全く見せず、相変わらず架恋の目をしっかり見つめて言う。

「そっか、でも本当に望んでるのなら、遠慮なく何でも言ってほしい」

「ありがとう……。でも、そんな、すぐには何も思いつかないし、無理に何もしなくても……」

「俺は架恋のために、何かしたいから。思いついたときでいいから、何でも言いつけてくれ。もちろん、何かしたところで、それだけで架恋に許してもらえるとか甘い考えは抱いていないけど……それで少しでも架恋の心が軽くなるのなら……何かしたい」

「う、うん……ありがとう」

 その後、ほんの少しの間、沈黙が流れた。

 それをかき消そうと、時計を見て言う架恋。

「えっと、そろそろ……」

「時間を取らせてごめんな。話を聞いてくれて、ホントにありがとう」

「そんな……気にしないで……」

 修馬の気持ちが十分に伝わった架恋は、すぐにでも元通りの関係に戻りたい気持ちになってきていた。

 しかし、ここまで散々拒んだり避けたりしていたのに、唐突にそんなことを言う勇気が出ない架恋。

 修馬が会計を済ませてくれた後、二人はカフェを後にした。