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天国の扉

猫好き男子と大人な部長2

 それから三日経った後のことだ。

 その間も、架恋と瑞穂は高倉部長と顔を合わせたが、仕事のことで軽くやり取りするくらいで、特に何事も起きなかった。

 架恋たちにとって、普段通りの一日だ。

 そしてこの日も、特に変わったこともないままに、終業時間が来た。

 架恋がドアから出ると、土砂降りの雨が地面を叩きつけていた。

 バケツをひっくり返したような豪雨だ。

 いつもよりやや薄暗く架恋には感じられたのは、恐らく空を埋め尽くす黒雲が原因だろう。

 また、風も強く感じられたので、一歩踏み出そうとした架恋はすぐさま逡巡して独り言を言った。

「幾らなんでも雨風が強すぎるなぁ。もうちょっとおさまってから、帰ろうかな」

 会社の建物内へと引き返そうとする架恋。

 しかしその時、駐車場の方から「ニャー」と猫の声が聞こえ、気になった架恋はそちらへ足を向けた。

 駐車場内は、すでに電気が点灯されていたものの、屋内ほどは明るくないため、ゆっくりと歩く架恋。

 すると、奥の片隅に、一人の男性社員がしゃがみ込んでいるのが見えた。

 不審に思った架恋が近づいていくと、足音や気配で察したのか、男性社員がくるりと振り返る。

 その男性社員こそ、先日の瑞穂との会話で出てきた宮沢だった。

 架恋は宮沢とは面識があったが、そんなところでばったり会うとは思わなかったので、驚き立ち止まる。

 同時に、架恋の目は、宮沢の前で座っている茶色い猫にも向けられた。

 その猫は首輪をしており、宮沢にせっせと撫でられながら、寝転がっている。

 目を細めて安心しきっているので、かなり宮沢に慣れている様子だ。

 宮沢はすぐに端正な顔をほころばせながら、挨拶してきた。

「こんにちは。総務の石橋さんだったよね? 俺のこと、覚えてる?」

「宮沢さん、こんにちは。もちろん、覚えているよ」

「こうしてお話しするのは新年会以来なのに、覚えていてもらえたとはちょっとびっくり。春に同期で飲んだときには、話す機会がなかったんだっけ」

「そうだったね、残念ながら」

 笑顔で話す宮沢につられて、架恋も頬を緩める。

 架恋は宮沢と会話したことが、数えるほどしかないのだが、それなのに名前を覚えておいてもらえたことは、架恋にとって素直に嬉しいことだった。

 別に宮沢に恋していないとはいえ、「かっこいい」とは思っていただけに、なおさら。

 そして、架恋は本題ともいえる猫について尋ねようと、宮沢が撫で続けている猫を見ながら口を開こうとする。

 しかし、宮沢が先に口を開いた。

「石橋さんは、車で出勤してるの?」

「あ、そういうわけではなくて。雨宿りしてたら、何だか猫の声が聞こえてきて、気になって来てみたの」

「ふーん、1ヶ月前の俺と一緒だ。聞かなくても分かったよ、石橋さんも猫好きなんでしょ?」

 嬉しそうに尋ねる宮沢に、架恋も笑って「うん」と言って頷く。

 宮沢は言葉を続けた。

「貴重な猫好き仲間発見! おい、ポップ。友達が増えそうだぞ」

 そう言って、愛おしげに猫を撫でる宮沢。

 架恋は少々意外に思っていた。

 もし、今こうして目の前で猫を撫でているのが高倉部長だったなら、架恋もそこまで驚かなかったのだが。

 架恋が尋ねた。

「ポップっていうお名前なの?」

「うん、つけてるこの青い首輪に書いてあった。向かい側の家の飼い猫みたい」

 頷きながら、架恋もかがみ込み、宮沢と一緒になってポップを撫で始めた。

 ポップは人懐っこい性格なのか、初対面にも関わらず、架恋が触っても嫌がるどころかむしろ喜んでいる様子だ。

 目をほとんど閉じて甘えるポップに、架恋の顔はどんどんほころんだ。

 宮沢と一緒に、時間も忘れてポップを撫でつづける架恋。

 架恋は心密かに、「宮沢君って、良い人っぽいなぁ。噂に惑わされちゃいけないな」と思っていた。

 もっとも、宮沢の性格が悪いという噂など、一切耳にしていなかったのだが。

 ただ単純に、女性関係が奔放だという噂があっただけで。

 すると、宮沢が言った。

「さて、俺はそろそろ帰ろっかな。明日は直帰でポップにも会えない予定だし、名残惜しいけど」

「あ、じゃあ、私もそろそろ……。ポップはどうするの?」

「俺が向かいの家の前まで抱いていくよ。道路を挟んですぐだけど、この大雨だと濡れちゃってかわいそうだからね」

「じゃ、私もついていくね」

「よし、行こっか!」

 そう言うと、宮沢は壁にもたせかけていた傘を手に取ると、開いた。

 そして、ポップを抱き上げて傘を差し、駐車場の出口へと向かう。

 架恋はその後ろをついていった。

「ポップ、またな」

 そう言って、向かいの家の門前にて、ポップを下ろす宮沢。

 架恋も「またね」と言うと、宮沢と一緒に手を振った。

 ポップは門の隙間から、家の敷地内へと足を踏み入れたが、2~3歩ほどで足を止め、二人を振り返る。

 青と黒の傘を差しながら手を振る二人を、しばし見つめた後、向かって右側へと歩き去った。

 ポップの姿が見えなくなると、宮沢が言う。

「じゃあ、俺たちも帰ろっか。石橋さんは電車? もしそうなら、一緒に帰ろう」

「え……あ、うん」

 ポップがいなくなると、途端に架恋は「社内きっての人気者と二人っきり」というこの状況を意識してしまう。

 一方、全く気にしていない様子の宮沢は、明るく言った。

「それじゃ、行こう!」

 二人は駅を目指して歩き始めた。